「第8回」 11. C62 蒸気機関車
(実車)
C62 については、すでに別稿(過去へのタイムスリップ- Oゲージ C62 とEF58 の製作)で述べているので、ここで詳しくはふれない。
戦前の特急が C51、C53 で代表されるのに対し、戦後の特急は C59 が一部の列車を牽引したのを除いて、すべて戦後生まれのC62がその任に当たった。
つまりC62はその堂々たる威容と共に最後の特急用蒸機としてその頂点に立つ存在である。そして小生にとっても永遠の「憧れの機関車」である。
(模型)
1955年(昭和30)鉄道模型社発売の初期製品「鉄道模型考古学」によれば「C62
モデルの始祖といえるのが、この鉄道模型社の初期製品で、ディテールの殆どないシリンダー、太いロッド、今見るとプァーな作りだが当時は大威張り出来る一輌だった」とあるが、全般のイメージは悪くなく、それに何よりも発売から半世紀近く(49年)経った現在も、我が家の550R付きエンドレスを比較的静かなギャ−音で走行する姿を見て満足しており「鉄道考古学」では「今見るとプァーな作り」というが小生は今見てもプァーな作りとは思っていない。
このように見解の食違う要因は
- 工作派と運転派の価値観の相違(小生は「鉄道模型は走ってこそナンボの運転派)
- コストパーフォーマンスをどの程度重視するか、その重視度合いの相違
(鉄道模型社製品のコストパーフォーマンスは抜群!勿論この時のパーフォーマンスは走行性能をさす)ともあれ、戦後の鉄道模型創成期の1955年(昭和30)鉄道模型社 HOゲージ C62 と EF58、カツミ OゲージC62 と EF58 合計4輌が当社に勢揃いする事になった。 メデタシ、メデタシ!!
「第9回」 12. C51蒸気機関車
(実車)
C51形は日本の鉄道ファンに愛された機関車である。1919年(大正8)国鉄浜松工場で18900形の第1号機が誕生した。
国産初の2C1(パシフィック)テンダー機で、当時狭軌鉄道としては最大の直径1750mmの動輪が採用された。そしてこの1750mmはC62
にいたっても遂に変わらなかった。つまり国鉄最大の動輪はこの18900形によって出現したことになる。
このような大型機関車が狭軌でも実現し得るのだから広軌にする必要はないではないかとまでいわれた。
1928年(昭和 3)までに 289輌が製作され、この年の車輌称号規定改正で C51形と改められた。
1930年(昭和 5)初めて、東京〜神戸間を 9時間で走る超特急「つばめ」号が誕生した時の牽引機となったのも C51であり、長い間お召し列車といえば必ずピカピカに磨きだされた
C51が任務についたものである。
非常に洗練された機関車で使用実績もよく、全国幹線の急行列車に使用された。
(模型)
1960年発売のこの初代 C51はカツミが従来のOゲージからHOゲージにも進出し、最初に発売した記念すべき大型SLである。
太平洋戦争の始まる直前まで--学年でいえば小学校3年生まで--伊勢市(当時は宇治山田市)で育った小生にとって「電車」といえば「参急2200系」、「汽車」といえば「参宮線のC51」が同義語となったような環境であった。
このように幼少時から慣れ親しんできたキカンシャC51、しかもカツミから出るとあって--すでにカツミ製
Oゲージ C62とEF58 を所有しカツミの製品に信頼をおいていた--迷わず購入した。
この信頼に答えてか C51はヘッドライトを点灯して--当時のSLは前回登場のC62(鉄道模型社)にしろこのC51にしろすべて、米粒球がついていた--今も快走する。
当時はまだ鉄道模型の黎明期で、数える程しか車種も出ていなかったし、今後どんな車種がどのメーカーから出されるかも判らない。また、出たとしても経済的な理由から--当時から鉄道模型
は極めて高価であった--揃えられるかどうかも判らない。そのような状況下で、ただ一つだけコレクションに関して、これだけは出来れば実現したいという明瞭な願望を持っていた。
それは「国鉄の旅客用蒸気機関車をHOゲージで C51から C62まで輸入機 C52を除いてすべて揃える」というものである。シリーズ最後のC62(前回「第8回」登場)とシリーズ最初のC51が今回入手出来先ず先ずのスタートとなった。
「第10回」 13. D51 蒸気機関車
(実車)
D51.....デゴイチ! これは数ある国鉄蒸気機関車のなかにあって、最もポピュラーなロコである。
1936年(昭和11)最初の1輌が完成してから実に10年、何と総数 1115輌が生産され、この数は我が国、機関車中の最大多数となった。勾配区間では旅客列車の先頭に立つD51だが、本命はやはり貨物列車用である。
長期にわたる製造期間と第2次世界大戦の影響を受け、初期形、標準形、戦時設計と大別して3種に分かれる。
初期形は1936年から38年にかけて製造された約100輌で、煙突からスチームドームまでが一体にケースされていることで"半流"とか"なめくじ"とか呼ばれファンに親しまれたものである。
1938年〜44製の標準形は、その数も多く最も一般的でポピュラーなスタイルである。上記写真のモデルは勿論この標準形である。
1944年(昭和19)のD51から、戦時設計となった。木製デッキ、デフレクター、炭庫とコンクリート死重を搭載した見るも哀れな姿となってしまったのである。
(模型)
カツミ発売シュパーブライン第1弾がこのD51である。
日本のHO ゲージブラス蒸機の原点とも言える高いクオリティを持ったシュパーブラインのD51は1961年に登場、以後、1961年(昭和36)1次製品発売→1962年1次製品改良型発売→1964年2次製品発売→1965年2次製品改良型発売(鉄道模型考古学による)と毎年のように売り切れと改良品発売が繰り返されたが、当社のD51
はシリンダーブロックのスライドバーに溝がなく、排障器が先台車についた第1次製品である。KIT
組立てで余り苦労した記憶はないが、完成後、走行性能がいま一歩で期待した程でなく、がっかりしたのを覚えている。今でもスタート電圧が当時の車輌の平均レベルよりやや高く、中速でのギヤー音(ギヤーBoxの共振?)が気になる。
勿論一般的な走行に支障はないが、あまり走行させていないので「慣らし運転不足」が原因かも知れない。